体の声を聞く人に会う、
「痛み」との対話で生まれるグルーヴとは。/祭太郎さんインタビュー

2021-03-15

 誰だって「痛み」は遠ざけておきたいはず。考えたくもないし、触れたくもないかもしれない。でも、世の中には「痛み」と向き合う人もいる。

 18歳から”ストリートで〈受け身をとる〉”という表現活動を行い、現在は鍼灸院「祭林堂(まつりんどう)」で鍼灸師としても活動する祭太郎(まつり・たろう)さんです。音楽好きの方ならば、北海道の音楽フェスRISING SUN ROCK FESTIVAL を盛り上げる『祭りの妖精・祭太郎』として知っている方も多いのではないでしょうか。

 今回は、そんな祭さんに「痛み」との向き合い方についてインタビュー。鍼灸と芸術の話が交差する、ジャズセッションのような対話になりました。

Introduction:痛みは人を孤独にする 

 まずは少し、僕の個人的な話をさせてください。2019年12月の朝、首に人生最大の痛みが走った時の話を…。

 事の起こりはこうです———。朝、目を覚ますと首を寝違えていた僕は「安静にしよう」と考え、ソファーに身を投げました。でも、その身の投げ方があまりにも無造作すぎたんです。
 ソファーに着地した瞬間、ただでさえ痛めている首に無理な力がかかり、バキーン! という爆発のような痛みが走りました。

 僕は叫びました。でも、「寝違えた首がとても痛い」と言っても周囲に苦しさが伝わりません。まあ誰でも「寝違えたくらい、たいした事ないでしょ」と思いますよね…。
 この体験を通して感じたのは「痛みって、なんて孤独なんだろう」ということ。

 その後、整形外科にも行ったんですが痛みは完全に無くならず…そこであるとき「はり治療」を試してみたくなり、紹介してもらったのが祭太郎さんの鍼灸院『祭林堂』。
 はじめての鍼治療を通して僕が得たのは、「やっと痛みが伝わった!」「痛みで会話ができた!」という感動です。それからは「痛み」への考え方も変化していきました。

 それでは、痛みとの”向き合い方”を掘り下げるインタビューをどうぞ。

痛みがネガティブである必要はない。

―こちらの鍼灸院には、普段どういった症状の方がいらっしゃいますか?

祭さん:だいたい最初は、肩こりであったり、腰痛、頭痛…人によっては手足の痺れです。でも細かい話を聞いていくと、その人の体にはいろんな事が起こっていて、それを「なんとなく重だるい」とか、そういう形容をされていらっしゃいます。

―鍼灸院には初めて来る、という方も多いんじゃないでしょうか。

祭さん:そうですね。

―例えば僕は、「首の痛み」で初めて鍼治療を受けたんですが、祭さんに治療をしてもらう過程で、背中や腰や足などの、患部と離れた部位も首の痛みに関係している事がわかりました。それがまず興味深かったです。

祭さん:僕の治療は、痛みの中心がある所とは別に、まず全体的に俯瞰で見ながら、最終的に痛みの部位にフォーカスしていくんです。だんだんアップにしていったり、またちょっと引いたりだとか。単純に「痛みがなくなった、楽になった」というところにゴール設定はしていません。

―では、どういったところをゴールに設定されているんでしょうか?

祭さん:僕の治療の目的は、あくまでもコンディションを高めて今の状況よりも良くしていくということ。だからメンテナンス的な意味合いが強いんです。もちろん、急患的な症状も診ます。けど僕の治療のゴールは「痛みを消しました、はい治りました」というところではないんです。それが自分のやりたい治療というか、いろんな状況の中で体は変化しているので、その中でサポートできればなと。
 鍼灸院の良いところは、一過性の付き合いではなく持続的な人間関係を築いていけるところなので、そこが仕事としてやり甲斐があるなと思っています。

―鍼を打ってもらうことで初めて気がつく自分の体の状態、ってありますよね。その”気づき”を得た上で生活するのは、実は楽しかったりします。だから確かに、鍼治療の面白さっていうのは継続していく関係性にあるかもしれません。

祭さん:薬の治療などよりも効き目が人それぞれ、その時々によるので、同じ所に打つ鍼でも、その日のコンディションで変化があります。そうすると一過性のお付き合いだと体の変化をつぶさに見ていけない。
 単純に体だけを見るんじゃなくて、会話からも「いま調子悪いんだな」とか「今日ちょっとハイだな」とか、そういうところを見ながら治療します。

―それこそ、「肩が痛い」と言う人が来たとして、でもその「肩」って、きっと人それぞれ違いますよね。

祭さん:違いますね。来る方はわりとざっくり「痛い」って来るんですよ。自分でも何がなんだかわからない…体が混乱している状態で来るんです。その時になるべく「痛みがここにある」っていうポイントを押してあげて、ひとつひとつ痛みの原因をお互い確認すると、それだけでだいぶ和らぎます。

―なるほど。

祭さん:患者さんが少しでも痛みの形をイメージできてくると、人は自分で治る力を持ってるので改善に向かっていける。ですけど、大体みんな最初は混乱しています。そういう時って、体も全部が緊張しているんです。普段の生活が送れないっていう理由が肩の痛みにあったとしたら、「この痛みがなかったらいろんなことができたのに!」っていう罪悪感・怒り・不安が渦巻いてるんですよね。
 でも、あくまで痛み出した理由っていうのはその人にしか分からないわけで。例えば、人間関係でむしゃくしゃして体を酷使したとか。そういう中で通常の生活に戻れるようにゆっくり……その人がいろいろ気づいてくれたらいいなというところで、まずは痛みを確認していく。

―皆さんが痛みで混乱した状態で来られるというのは凄く分かります。僕も、「どうなっちゃったんだろう、自分の体は?」って整理できないところを、祭さんに少しずつ、ほどいてもらった感覚があります。

祭さん:痛みがネガティブである必要は無いっていうのが、これまで生きてきて感じていることなんです。痛みっていうのは辛い出来事なんですけど、それを冷静に見つめていくと自分の中心を知るきっかけにもなる可能性もあるので。

―僕たちが痛みで混乱してしまうのは、痛みは「あってはいけない」みたいな思い込みがあって、なのにその痛みを自分が「持ってしまった」ということに対しての混乱もあると思います。
 でも、本当はそうじゃなくて、痛みを冷静に解きほぐしていけば、自分の中心を知るきっかけになったりする……。

祭さん:「痛み」って記憶や体と直結するものなので、凄く感情を左右される重要な感覚です。なので「この人、本当は肩が痛いんじゃなくて心の方が辛いんだな」っていうこともあるんですよね。それはもちろん、僕は言葉には出さない。出すと、それはイーブンではなくなるので。
 ジャズの即興のように流れのまま受け取って、音楽にする(治療する)。そういう事が重要だなと思うんです。

芸術と鍼灸の共通点

―音楽の話が出たので、ここからは祭さんの表現活動についてお聞かせください。祭さんは鍼灸院をやりながら色んな活動されていますよね。まず最もよく知られているのは、『祭りの妖精・祭太郎』としての活動と、リングアナウンサーとしての活動、それから絵も描かれていて……本当に色々活動されていますが「痛み」というところに焦点を当てると、やはり、受け身を取るパフォーマンスの事をお聞きしたいです。

 あの、YouTubeで受け身パフォーマンスの総集編を公開されているじゃないですか。今日は家でそれを見てから来たんですけど、びっくりするぐらい視覚的に痛かったです。1分20秒のところで耐えきれず停止して、呼吸を整えてもう1回再生して……みたいな感じで見通しました(笑)。最後はカメラが引いていく映像ですが、感じたのは不思議と……すっきりしたと、いう感覚でした。
ーこの受け身パフォーマンスの中心にあるのも「痛み」だと思うんですけれども、元々はどういう思いで始められたんでしょうか。

祭さん:18歳くらいで始めたんですけども、振り返ると、当時は将来何かやりたいんだけど外に出せない……色んな思いがあるんだけど、気恥ずかしさもあって外に出せない……そういう悶々としたものが多くて、とにかく吐き出したかった。だから何でもよかったんですよね。
 その時に現代美術に出会って作品を創り始めたんですけど、小手先でやっても誰もウンともスンとも言わないし、「人に伝わるためには内から湧き出たものでないと駄目だ!」という強迫観念もあって、そういう手探り状態の中でパッと人前で受け身をやった時に手応えを感じて……それがきっかけなんです。
 けどその時も、半分投げやりでやってました。「痛い! どうだ!」「痛み伝わるか!」みたいな感じでやっていて。今考えるとすごく幼稚だし、なにやってんだろ、っていうところなんだけど。

―僕は祭さんのパフォーマンスを見て、「痛み」って嘘をつけない表現だなと思いました。祭さんの受け身を見ると、僕は視覚的に「うっ、痛い!」と思ってしまう(笑) でもそれって、本気の受け身を取ってないとそうはならないですよね。自分に優しく受け身を取っていたら、あんまりショッキングじゃない。

祭さん:何て言うのかな、僕は生きたいわけで、でも世の中に自分の生きたいコトがなかったわけで、そうすると自分で作り出すしかないですよね。受け身を“表現”としてやった時に、初めて自分でコトを作った。それがすごく自信になったというか「あ、自分でやれるんだ」みたいな。
 僕は美術表現に関しては死ぬまでやり続けたいことだから、誰にも何も言わせない、っていうか……言われるとめちゃくちゃ凹むから(笑)。だから、この受け身パフォーマンスだけは誰もやっている人なんていないし、何も言えないだろうな、って。僕以外意味を成さない行為なんだけど、でもそこがとても重要ですね。自分だけのもの、っていう。
 見る人の反応も「痛い」って言う人もいれば、笑っている人もいて、違うんですよね、みんな。

―そうですよね、いわゆるズッコケのような“お笑い”として捉える人もいれば、痛みに焦点を当てて感じる人もいますよね。

祭さん:初めて人前でやったのがドイツのハンブルグで。その時はドイツ語も英語もできないけど、作品で会話ができた、みたいなところがあって、「何でお前はこんな痛いことしてるんだ!?」って、真剣に見てくれたんですよ。自分だけにしかわからないと思っていたことを、異国の人たちが面白がって言葉を投げかけてくれているということに、とても体がすっきりしました。
 さっきの治療の話に戻るわけじゃないんですけど、“ざっくりとした痛み”を持っている人たちが、最初は抽象的な痛みなんだけど、確認して痛みを共有する中で「あ、ただ痛くなっただけじゃなくて、ちゃんと自分がこの痛みの原因を作ってきたんだ」ということを本人とすり合わせできた時に、そこに何かグルーヴみたいなものができて不思議と身体が変わっていく………それを僕は芸術で体験していて「これは本当の会話をしているんだな」と、それがね、やっぱり忘れられない。だから、そこからなんですよね。

―ドイツで初めて人前で受け身のパフォーマンスをして、思いがけないコミュニケーションの成立を発見した時と、治療をしながら患者さんとの間にグルーヴが生まれていく過程が繋がっているというのが、すごく面白いです。かけ離れているようで、実は繋がっていたんですね。

言葉にならない大事な時間

祭さん:今は、絵画での表現活動が自然ですね。僕はその時々によってやることを変えたり、ひとつの事をずっとやっていくとかが苦手なタイプで。

―祭林堂に来ると、祭さんが描いた絵は自然に目に入りますよね。絵を描くっていうのは、どれくらいから始められたんですか?

祭さん:小さい頃から描いていました。誰かに習ったわけじゃなくて、遊びの中の絵っていうのが大好きで。
 基本、僕の人生は遊びから派生しているものを選び取っているんです。けどそこに評価が入ると僕はいつも尻込みしてしまう。絵も、世の中には上手い人がたくさんいるから、自分は下手だからやめよう、みたいな。
 だけど歳を取れば取るほど良い意味でポンコツになってくるので、人にどう見られようと関係ないなと。そこでやっと吹っ切れました。
 創作して、体がゾーンに入って興奮していく、そういう状況を作り出すのがとても楽しいなと思っています。

―最近では個展も開かれていますよね。いい意味でポンコツになる、という風におっしゃっていましたけども、個展を開いたりするというところには、そういう心境の変化が表れているのかなと思いました。

祭さん:そうですね、鍼灸をやったり、絵を描いたり、パフォーマンスをやったりすると、ぼんやり考えてる暇が無くなるので。今はもう、その日・その日という感じでやらせてもらっています。

―ここまでのお話を聞いてると、祭さんはすごく“体のやりたい事”にアンテナを向けてらっしゃるのかなと思いました。現代の人って“頭が考える事”に注目することの方が多いと思うんです。だから“体のやりたい事を聞く”のは忘れがちで、でも、すごい大切なことですよね。

祭さん:そうですね。

―そこでお聞きしたいのですが、「心と体のバランス」については、どのようにお考えですか? これは自分の話になってしまうんですけど、僕はずっと「心と体の仲が悪い」みたいな状態で生きてきて、どうやったら仲直りしてくれるんだろう?  と途方に暮れていたんです。

 別の言い方をすると、心と体の元気がぜんぜん揃わない……このアンバランスさはどうやったら解消できるんだろう?と、そういうことがずっと分からず、コンディションが上がらないまま、生きてきたんです。

 でもそれがここに来て鍼を打ってもらい、「痛み」というものをネガティブじゃない捉え方が出来るようになってから、心と体が少しずつ仲良くなって、手を取り合うようになったと感じています。“体をいたわろう”というよりは、“体の言うことを聞こう”と思えた時に、すごく心と体が助け合うようになった。僕もいい意味でポンコツになったのかもしれないですけど(笑)

祭さん:現代は、自分の時間を認識するのが難しいんだと思います。誰かのためや、名目のために一生懸命生きすぎなんです。
 何て言うのかな……体が混乱しているのに枠に入ろうとするから、そうするとものすごく自分をコントロールしないといけないじゃないですか。要するに、自分を制限して苦労することでなんとかお金をもらったりしようとする。もちろん当然なんですけど、でもそうすると苦しくなる。だからそこは、“自分の事のように”生きていったほうが得だなと思うんです。
 例えば、僕が今まで治療してきた人の中には「この痛みは自分じゃない」と他人事のように来る人もいるんですよ。 

―えっ、というと?

祭さん:「この痛み、とれるんでしょ? 早くとって」みたいな感じです。僕はそれに対して別に否定はしないですけど、これでは繰り返されてしまうなと思います。痛みが無くなれば楽になるわけですもんね。でもそれでは根本解決にならないんです。生活が変わらなければ。
 本当は自分の生活は何をやっても自由なのに、自分の癖で体に悪いことをしている。それってもったいないと思います。自分を否定しながら生きていると、不安であったり怒りが常に蔓延しているので、なんかイライラしたりする。でも本人は何に怒っているかもわからないから、とにかくその怒りを出すために周りに当たるんです、意味もなく。
 みんなでいい空気を作るためには、痛みをポジティブに包み込んで、「一緒に行こうじゃないか」みたいなところに持っていった方がいろんな意味で得するだろうな、と思います。

―すごく分かります。痛みって体からのメッセージですよね。それを無視したり、消してしまったりする生活っていうのは、確かに損です。

祭さん:それって(痛み、不安、怒り、は)小さく処理していけばいいんですよ。事を大きくしなければ周りにそこまで影響しないので。
 痛みとか、不安とか、怒りっていうのは、無くなるわけはない。ある時には絶対やってくるので、来た時に小さくまとめておいて「ぽいっ」と捨てて、それでいいじゃないですか(笑)。ずっと溜めこんでしまうよりは。

―溜めてしまった挙句、自分でも正体がわからなくなってしまう場合もありますよね。

祭さん:とくに、心とか頭の中に眠っているものに対しては、知らぬ間に抱えていたりするものだと思います。そういう時に、体が緊張しているなと思ったら、誰かに触れてもらって和らげてもらう。一人で抱えないで対処をしておけば周りにも悪い影響を与えないと思うし、ひいてはそれが(いい影響が)伝播していくと思う。
 そういう関わり合いの中に自分の治療院があればなと思いますね。

―いいですね、祭林堂は、痛みや怒りなどの混乱を自分自身や周囲に影響を与える前に小さく処理して気づかせてくれる場所、ですね。
 例えば僕からすると、この場所では体についての話ができるのがとても大きいです。

祭さん: それはそうですね。それは僕の特権かもしれない。身近な人に体のことを言っても、わかんないじゃないですか。

ーそう、ぜんぜん伝わらないんですよ!

祭さん:でもここではそういう会話ができるという点で、いいなあと思うんですよね。

―ほんとうに不思議な、鍼灸と芸術が一緒の場所にあるこの祭林堂という場所は、面白いと思います。

祭さん:ありがとうございます。僕もめちゃくちゃ面白いと思ってるんです。やっぱり表現する産みの苦しみも分かるし、と言うか、みんな実は(何かを)表現しているんですよね。だけどほとんどの人は結果だけにフォーカスされるから、過程を忘れちゃう。
 だけど、コトを始めるまでの思考とか、言葉にならないところはとっても大事にしなきゃいけないんだってことは、美術に限らず音楽も、いろんなことをする人に共通すると思っていて。
 で、治療しているあの時間って、言葉にならないけど打たれているほうはかなりこう……体に効くじゃないですか(笑)

―きますよ! ずしーん、とか、ぴきーん!という刺激が(笑)

祭さん:それって凄く大事な時間なんだと思っています。

―はい、僕は言葉の仕事なので、何でも言葉にしちゃうんですけどでも、だからこそ言葉にならないものを言葉にならないままやり取りできるって、めちゃくちゃ大事だなって思います。
「痛み」って言葉にならないし、パフォーマンス表現も言葉にならないし、どちらも言葉にしようとすると、その過程でズレたり伝わらなくなっちゃったりする事が絶対あると思うんです。それを、言葉にならないままやり取りできるって、なかなかないと思います。

祭さん:でも痛みを言葉にするっていう事もとても大事で、そこに行き着くまでの過程で、肉体感覚を研ぎ澄ます時間であって欲しいなと思います。

―なるほど。“研ぎ澄ます時間”というのはとても良いですね。

痛みは抱えるのではなく、隣に置いておく。

祭さん:正直、鍼灸師を目指すきっかけは、自分で体を痛めつけて自分で治したいところから始まっていて、自分の表現活動に対して自分なりに返答しているつもりなんですよ。自分でクエスチョンを作って、自分で回答している、みたいな。
 だから鍼灸師になって10年経つけど、自分と患者さんとの関係性がどういう意味を持つのか……症状を治すというのはもちろんなんですけど、患者さんとの関係性について、どういうことなのかな? というのを少しずつ考えられるようになったのはここ最近ですね。だから、道半ばですよ。

―勝手な妄想ですけど、祭さんは芸術家としてスタートして鍼灸師もされているわけですけど、逆も有り得たような気がしています。
 先に鍼灸師をやっていてもアートをやっていたような気がするし、どんな道を辿っても今にたどり着いていたんじゃないかと思います。

祭さん:ありがとうございます(笑) 

―ではインタビューもそろそろ終わりに入ろうかと思いますが、これは伝えておきたいということはありますか?

祭さん:痛みの渦中はやっぱり冷静じゃないから、一人で抱えない、ということですね。そして痛みが無くなった時は、痛みの事を想像しながら体に対応していく。そういう風に心がけていくといいのかなと思います。

―痛みが無くなった時には、痛みを想像する。

祭さん:なんというか、「痛み」を知らずに生きるのは、それはそれであまり豊かじゃないというか、弱いと思うんです。痛みを知らないというのは弱いから、人を傷つけたり平気でしちゃう。だから、何て言うのかな……痛みを抱え込むと辛いけど、痛みはこのへん(自分の隣くらい)に置いとく。すると、いい守り神じゃないけど、いつも支えてくれるものにもなる。体のコリがあったとしても、「それ以上頑張るな」ということなので。

―そうですね。

祭さん:そう思えたら体を休ませることもできる。なので、上手に付き合うということがいいのかなと思うんです。

―僕も、上手に付き合っていきたいと思います。本日はありがとうございました。
左:竹田賢弘(ライター)、右:祭太郎さん
〈All Photo by 繁野潤哉、取材・構成 竹田賢弘

〈編集後記〉

祭さんが営む鍼灸院・祭林堂では、祭さんの作品を間近で見られるのも魅力です。

取材を終えた後日、2階のアトリエスペースを見させていただきました。そこにあったのは、抱えるようなサイズの大きな絵画———。

タイトルは「アイヌのかみさま」です。祭さんのルーツでもあるアイヌの文化から刺激を得て描かれた、シャケ漁のイメージでした。

タイトル「アイヌのかみさま」/サイズ:1000㎜×700㎜/素材:アクリル絵具/制作年: 2019

「絵画を書くのは、自分をリセットするための方法なんです。」

そう語る祭さんの絵画のスタイルは、『型にとらわれず、自分ならではの受け取り方・感じ方で描く』というもの。例えば、見せていただいた絵画はアイヌ文化からインスピレーションを受けて描かれたものですが、絵の中にアイヌ文様といった要素はありません。あくまで祭さんが感じたことを、祭さん独自の表現で描くということが貫かれています。

目指しているのは「まず、自分自身が長く見つめていられる絵画」なのだそうです。イメージの世界に没頭していけばいくほどその理想に近くのだ、と教えてくれました。

もしこの記事を読んでくれた方の中に、僕と同じように体の痛みとの向き合い方で困っていたり、心と体のリセットの仕方がわからない方がいらっしゃいましたら、祭林堂の暖簾をくぐってみてはいかがでしょうか。

〈祭林堂へお越しになりたい方は下のバナーをクリックし、祭林堂ホームページの予約フォームへお願い致します。〉

はり・灸・アトリエ 祭林堂
住所:〒064-0806札幌市中央区南6条西23丁目4-15号
連絡先:090-2876-5087、 contact@maturindo.com
営業時間:朝10時から夜8時まで(予約優先)
定休日:不定休
※一台分車がおけるスペースがあります。
※赤い屋根の一軒家が目印になります。

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